うん。きっとそうだ。
こんにちは。ペリーです。
今回は、会津を訪れて少し不思議に思った道について小話を一つ。
会津若松には、鶴ヶ城という城があり幕末の戊辰戦争ではその主役となりました。
もちろんその周りには城郭があり、城下町が栄えました。
聞くところによると、会津若松の道は江戸末期からその姿をあまり変えず、現代に残っているんだそうです。
基本的にヒューマンスケール。4メートル幅の道が多く作られており、車の侵入が少なく、歩行者に優しい小道がたくさんあります。
あなたの歩いた道は、100年前にも存在していた・・・。浪漫ですね〜。
さて、インターネットで地図を何気なく見てみると。
↑会津信用金庫本店のところに注目です。
野口英世青春館(コーヒー屋さんです。素敵です。)のすぐ側の交差点の道が、ちょっとずれているのが分かります。
「なにこれ?」となる僕は、もう少し地図を拡大してみました。(単なる偏った趣味です。)
見ていただけるとわかるのですが、なぜか、道がずれてます!
詳しく調べたわけではないので、詳細は不明ですが(おそらく文献などは残っているはず)、
鶴ヶ城の城郭自体はこのあたりまであったそうで、敵の侵入などを防ぐ時の道の作り方の一つだったのだとか。
鎌倉の鶴岡八幡宮の若宮大路のような戦略に似ていてなるほどな!と思ったのでした。
でもなんで北側だけなんだろう・・・。
普段、会津を訪れたら何気なく車で通るのですが、改めて車を降りてパシャり。
見晴らしは悪いのですが、そもそもクランクになっているので、車も低速で走ります。
そういう意味で、現代においては歩行者に優しい道として活かされてるのではないかと考え、
当時のまちづくりの素晴らしさを感じました。
鶴ヶ城近辺は、緻密に作られた機能性豊かな道路形状をしており、どこに行くにもアクセスがよいです。
(ただし一方通行が多いので、車の場合はカーナビを使って運転することをおすすめします。)
会津の散策は楽しいとよく聞くのですが、このようなクランク、曲線によって歩いていると次から次へ、新しいお店が見えてきたり、サプライズがいっぱいだからなのでしょうね♪
ところで、最近は月に3回ほど福島を訪れるのですが、会津の路線バスを使うことにはまっています(笑)
いろんなところに伸びていて意外に本当に便利なんですよ!そして、安い!
ただ、本数は少ないのでよく知らないとうまく使いこなせません!
さらに安く乗る方法もあるので、いずれご紹介いたします。
では、また〜♪
☆3月7日追記☆
写真の左側に歩道に蓋をされている用水路があります。ここは冬の期間は、そこが雪捨て場になってます。
この用水路は昔、猪苗代湖から飯盛山→そこから鶴ヶ城のお堀からの田畑に水が行くようになっているのだそうです。
クランクをあえて作ることで、水が横に横に流れる仕組みになってるみたいです。