こんにちはー!大貫ですー!
今回は、時間を知らせる鐘についてご説明していきます!!
え・・・待って 何それ 面白くないじゃん!??
あの お寺にある 鐘でしょ?
正月に ゴーーーーーーーーーーーーーんって
割と正解です!
てか、皆様・・・
鶴ヶ城に鐘ってあるの知ってましたか?
鐘撞堂
って言います 西出丸駐車場からお城へ行く途中にあります!
![](https://real-aizu.net/wp-content/uploads/2019/04/DSC_4900-2-1024x683.jpg)
団体バスの方はこちらの入り口ではないのですが
車で来た方は 大体、こちらから入場されます〜
![](https://real-aizu.net/wp-content/uploads/2019/04/DSC_4903-1024x683.jpg)
中に入ってる鐘をはよ。。見せんかいっ!
![](https://real-aizu.net/wp-content/uploads/2019/04/DSC_4326-2-1024x683.jpg)
現在では、お昼の12時に必ず人の手で鳴らすようになっています
※一般の方は普段は入れません
要予約で鐘付き体験できるかも・・?
この鐘が作られたのが
延享4年 1747年
江戸時代 ど真ん中です!!
戊辰戦争があったのが 1868〜1869年です
270年以上 ごーーーーん ごーーーんと
変わらぬ響で今もなお 会津に時を知らせています
鶴ヶ城の鐘は凄く正確だったらしく 一説には
鐘撞堂の近くに日時計があったのではないか?
と言われています〜!!
会津藩の藩校 日新館でも 天文学を教えていましたね〜
何か関連性があるのかもかも???
鐘の一番上に・・これは・・龍? よくわかりません←
![](https://real-aizu.net/wp-content/uploads/2019/04/DSC_4331-2-1024x683.jpg)
昔は鶴ヶ城の鐘がなったら、周りのお寺が鐘を鳴らして
会津中に時間を知らせていたそうです
とっても大切な鐘
遠く遠く響くには ある仕掛けがあるのです・・・
![](https://real-aizu.net/wp-content/uploads/2019/04/DSC_4904-1024x683.jpg)
ん!!! 穴!!!!!!!
![](https://real-aizu.net/wp-content/uploads/2019/04/DSC_4905-1024x683.jpg)
この穴が 音を響かせたり大きくする 重要なポイントなんです!
穴の下には もう一つ 上むきの鐘が・・
![](https://real-aizu.net/wp-content/uploads/2019/04/DSC_4913-2-1024x683.jpg)
これで音を反響させて 遠く遠く 良い音が ごーーーーーんって届きます!
ちなみに下から上を見るとこんな感じです
![](https://real-aizu.net/wp-content/uploads/2019/04/DSC_4917-2-1024x683.jpg)
内部はこんな仕組みになっているなんて!
思いもよらなかったですよねー!
地元の人も ほぼ99%以上 知らない情報です!
ここからが本番です!
戊辰戦争時 籠城時も1日も欠かさずに 鳴らしていたそうです。
鐘を鳴らすと言うことは 会津藩は健在・鶴ヶ城は落ちていないと言う証拠になります
![](https://real-aizu.net/wp-content/uploads/2019/04/DSC_4327-1024x683.jpg)
籠城中も鶴ヶ城外で戦った藩士には きっと心の支えとなった
鐘の音でしょう、士気をぐっと高めた音でしょう・・
新政府軍側はどう思うでしょうか?
私個人の見解ですが、きっと 耳障りだったのでしょう
鐘が鳴るのと同時に 新政府軍側は鐘を止めようと
銃弾を撃ちまくります・・・・・
鐘守が被弾し・・・倒れます・・・だが 鐘の音は止みません
また被弾します・・・でも鐘の音は止みません 違う人がまた鐘を鳴らします
この繰り返しで、死者・負傷者を出しながらでも 1ヶ月の籠城戦で
絶対に絶対に鐘の音は止めなかったそうです。
鐘を鳴らし続けた時守は何を思っていたのでしょうか?
確実に銃弾がやってくる それを知ってまで何故、鐘を鳴らしたのか
時守の名前は何人も書物に残っていても
その時 どんな想いだったのかは歴史には残っていません
ぜひ、入城前に立ち止まって 考えてみてはいかがでしょうか?