絶対鐘を鳴らす会津VS絶対に鐘を鳴らさせない新政府

こんにちはー!大貫ですー!

今回は、時間を知らせる鐘についてご説明していきます!!

え・・・待って 何それ 面白くないじゃん!??

あの お寺にある 鐘でしょ?

正月に ゴーーーーーーーーーーーーーんって

割と正解です!

てか、皆様・・・

鶴ヶ城に鐘ってあるの知ってましたか?

鐘撞堂

って言います 西出丸駐車場からお城へ行く途中にあります!

 


団体バスの方はこちらの入り口ではないのですが

車で来た方は 大体、こちらから入場されます〜



中に入ってる鐘をはよ。。見せんかいっ!

現在では、お昼の12時に必ず人の手で鳴らすようになっています

※一般の方は普段は入れません

要予約で鐘付き体験できるかも・・?

この鐘が作られたのが

延享4年 1747年

江戸時代 ど真ん中です!!

戊辰戦争があったのが 1868〜1869年です

270年以上 ごーーーーん ごーーーんと

変わらぬ響で今もなお 会津に時を知らせています

鶴ヶ城の鐘は凄く正確だったらしく 一説には

鐘撞堂の近くに日時計があったのではないか?

と言われています〜!!

会津藩の藩校 日新館でも 天文学を教えていましたね〜

何か関連性があるのかもかも???

鐘の一番上に・・これは・・龍? よくわかりません←

昔は鶴ヶ城の鐘がなったら、周りのお寺が鐘を鳴らして

会津中に時間を知らせていたそうです

とっても大切な鐘

遠く遠く響くには ある仕掛けがあるのです・・・

ん!!! 穴!!!!!!!

この穴が 音を響かせたり大きくする 重要なポイントなんです!

穴の下には もう一つ 上むきの鐘が・・

これで音を反響させて 遠く遠く 良い音が ごーーーーーんって届きます!

ちなみに下から上を見るとこんな感じです


内部はこんな仕組みになっているなんて!

思いもよらなかったですよねー!

地元の人も ほぼ99%以上 知らない情報です!

 

 

 

ここからが本番です!

戊辰戦争時 籠城時も1日も欠かさずに 鳴らしていたそうです。

鐘を鳴らすと言うことは 会津藩は健在・鶴ヶ城は落ちていないと言う証拠になります

籠城中も鶴ヶ城外で戦った藩士には きっと心の支えとなった

鐘の音でしょう、士気をぐっと高めた音でしょう・・

新政府軍側はどう思うでしょうか?

私個人の見解ですが、きっと 耳障りだったのでしょう

鐘が鳴るのと同時に 新政府軍側は鐘を止めようと

銃弾を撃ちまくります・・・・・

鐘守が被弾し・・・倒れます・・・だが 鐘の音は止みません

また被弾します・・・でも鐘の音は止みません 違う人がまた鐘を鳴らします

この繰り返しで、死者・負傷者を出しながらでも 1ヶ月の籠城戦で

絶対に絶対に鐘の音は止めなかったそうです。

 

鐘を鳴らし続けた時守は何を思っていたのでしょうか?

確実に銃弾がやってくる それを知ってまで何故、鐘を鳴らしたのか

時守の名前は何人も書物に残っていても

その時 どんな想いだったのかは歴史には残っていません

 

 

ぜひ、入城前に立ち止まって 考えてみてはいかがでしょうか?

 

 

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この記事を書いた人

大貫 和哉

大貫 和哉

会津若松市在住 
大人になり、色んな景色や人と出会い
歴史を知り、先人達がどんな想いで会津を築いてきたのか
それを知るだけでも、自分の生き方がガラッと変わりました!

先人達が今の会津を見て「やっぱ会津っていいとこだべ」
って言ってもらえるように
会津に住んでいる人も、会津に来た人も、みんな笑顔で溢れる町にする!

会津は少しの知識さえあれば 300%楽しめますので!
いっぱい記事を読んでから 会津へこらっせ〜!