地元の喜多方市塩川町を歩いてみました

はじめまして。喜多方市出身、東京在住のウェブデザイナーの古川です。

普段はフリーランスでホームページの制作とワードプレスというソフトのレッスンを行っています。

福島県と東京都の二拠点で仕事をするために、会津地方を中心に、福島県でも活動しています。

今回は、喜多方市塩川町の実家付近をご紹介します。

塩川の地名の由来は、塩水が湧き出す泉から来たと言われています。
塩川だけでなく、会津地方では海がないのに塩が取れます。会津の山塩が有名です。

河川舟運の町だった塩川町

塩川町は会津若松市と喜多方市のちょうど中間地点にあります。

平成の大合併で喜多方市になるまでは、耶麻郡塩川町という郡部の町でした。

かつては阿賀川舟運や米沢街道など、水陸の宿場駅として繁栄しました。

今ではただのベッドタウンのような町ですが、昭和56年生まれの私が小さい頃には、元芸者の女性たちがいて、小料理屋などを営んでいました。

芸者の置屋もいくつかあったそうです。

新潟から阿賀川を通って全国の文化が入ってきた

なぜ、芸者の置屋がいくつもあるほど塩川が栄えたかというと、北前船で全国から新潟に集まった商品が、阿賀川沿いの塩川町の船着き場に届いたからだそうです。

新潟とつながる阿賀川。地元では日橋(にっぱし)川と呼ばれています。
夏は花火、秋はバルーンのイベントがこの川沿いで開催されます。
日橋川を通る米沢街道。この写真の方向に向かうと喜多方市内、反対側に向かうと会津若松市に着きます。

北前船(きたまえぶね)とは、江戸時代から明治時代にかけて日本海海運で活躍した、主に買積みの北国廻船(かいせん)の名称[1]。買積み廻船とは商品を預かって運送をするのではなく、航行する船主自体が商品を買い、それを売買することで利益を上げる廻船のことを指す。当初は近江商人が主導権を握っていたが、後に船主が主体となって貿易を行うようになる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%89%8D%E8%88%B9

会津を治めた蒲生氏郷公が近江日野、伊勢松坂、最後に陸奥黒川(会津)城主となった人であるため、近江、松坂と会津には文化的なつながりがあります。

塩川町を治めることになった蒲生喜内は、近江商人を呼び寄せて、商業を奨励したそうです。

塩川町の御殿場公園のあたりには湖があったため、近江商人たちは、その湖を琵琶阿湖と呼んで故郷を懐かしんだのだとか。

会津藩歴代藩主一家の行楽地だった御殿場公園

御殿場公園のあたりは、鷹狩や琵琶阿湖遊覧など、会津藩歴代藩主一家の行楽地だったそうです。

私が小さい頃は、公園から続く一帯が田んぼで、春は桜の道ができるきれいなところでした。

最近は、住宅地になっており、2018年現在、喜多方市の中では、人口が増加している唯一のエリアだそうです。

30年前と景色がずいぶん変わりましたが、4月上旬には200本の桜が、6月中旬から下旬には3万6千本の花菖蒲(はなしょうぶ)を楽しむことができます。

晩秋の御殿場は寂しい印象。もうすぐ雪で真っ白に覆われます。

名物は鶏モツとナマズです

河川港の町だったからか、グルメはスタミナ系です。

ニンニクを効かせた鶏皮の炒め物や、鶏キンカンの煮物など、子供の頃はよく食べました。

ナマズは食べたことがないのですが、塩川町の丸市という割烹で食べられますのでぜひ行かれてみてください。

この記事を書いた人

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古川恵子

喜多方市出身。福島大学卒。都内と福島県でフリーランスのWebデザイナーとして活動しています。小規模なホームページ制作が得意です。会津若松市で不定期に情報発信講座を開講中。講座やグループレッスンなどご相談に応じます。お気軽にご連絡ください。
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